ファシズムの記憶とイタリア社会 ― 忘れられた過去?
ムッソリーニが権力を握った1922年から1世紀が経ちました。ファシズムは歴史の教科書に閉じ込められた出来事でしょうか。それとも、いまもイタリア社会の奥深くに影を落としているのでしょうか。
戦後イタリアが歩んできた「記憶」と「忘却」のあり方をたどることで、現代を読み解く手がかりが見えてきます。
戦後の曖昧な清算
第二次世界大戦後、ドイツの「徹底した非ナチ化」と比べると、イタリアのファシズム清算は不十分だったと指摘されます。戦後すぐに制定された憲法は反ファシズムを掲げましたが、ムッソリーニ体制を支えた官僚や軍関係者の多くはそのまま職務を続けました。
「過去を正面から直視しない」傾向は、その後の政治文化にも影響を与えました。
公共空間に残る記憶
イタリアの街を歩くと、ファシズム期の建築やモニュメントが今も堂々と残っています。ローマの「EUR地区」は、その典型です。大理石の建物群はムッソリーニが誇示した「新ローマ帝国」の象徴として計画されました。
これらは観光地として紹介される一方で、過去の権威主義を日常の風景に溶け込ませているとも言えるでしょう。
現代政治に響く影
現代イタリアの極右勢力は、しばしばファシズムの象徴をほのめかす言葉やジェスチャーを用います。ジョルジャ・メローニ自身は公式にはファシズムを否定していますが、彼女の支持基盤には「過去への郷愁」を語る層も存在します。
これは単なる歴史の偶然ではなく、戦後社会に残された「記憶の空白」が生んだものとも言えるでしょう。
結び
イタリアにおけるファシズムは、過去の亡霊であると同時に、現在を映す鏡でもあります。公共空間に残る建築、政治の言葉に響く残滓、それらは私たちに問いかけます。
「記憶すること」と「忘れること」の間で揺れ動くイタリア社会を見つめることは、権力と民主主義の関係を考える上で、普遍的な意味を持つのではないでしょうか。
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